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鳴潮を遊んでいる時の写真を載せてみました
2026-08-17
鳴潮を遊んでいる時の写真を載せてみました。
数年前まではゲームに熱中することがあまりなく、友達と遊ぶ時にパーティーゲームをやるくらいでした。でも、2年前くらいに鳴潮を知ってやり始めたところ、「キャラが可愛くて良いなぁ」という印象からだんだんゲーム自体が楽しくなってきて、気がつくとすっかりハマっていました。(これをきっかけに、キャラを操作するゲームにハマり始めました。)
実はいくつかアカウントを作って色々な遊び方をしているのですが、”いりす”としては「Linux環境でも遊ぶことができるのか」の実験も兼ねています。 結果としては現状問題なく遊べている感じなので、最悪Windowsが変なことになってもLinuxで楽しむことは出来そうだという実感がありますね。
話は変わって、今回写真を載せているのは「ダーニャ」というキャラになりますが、可愛いですよね。 ”いりす”としては、青色系統で好みに刺さるキャラを常に探しているのですが、鳴潮を遊んでいる感じでは、最近は徐々に色に関係なく入手しに行っている気がします。可愛いと感じるキャラは、やっぱり素直に可愛いですね。
おまけ:この気持ちを心理学的に調べてみた
この記事で書いた「気持ち」がちょっと気になったので、いくつかの心理学理論と照らし合わせて調べてみました(Geminiに調査・要約してもらった内容をベースにしています)。
「可愛い」が最初の入口になった理由
「キャラが可愛くて良いなぁ」という感覚は、幼形的な特徴に反応する生物学的な仕組み「ベビースキーマ」に根ざしていて、入戸野宏らの「かわいいの二層モデル」では、これを対象に近づきたくなる感情として説明しています(入戸野, Psychology of kawaii and cuteness)。また「処理流暢性理論」によると、認知的に処理しやすい(見慣れた・シンプルな)対象ほど好感を持ちやすいとされていて、これが知らないアクションゲームに触れる心理的なハードルを下げてくれたのかもしれません(Reber, Schwarz & Winkielman, 2004)。
面白いのは、「かわいい」対象を見ると注意力が上がり、細かい作業の精度も上がるという実験結果があること(Nittono et al., 2012, PLoS ONE)。アクションゲームの操作に早く慣れられたのは、キャラクターの可愛さで集中力が上がっていたからなのかも、と思うと少し面白いです。
色の好みが広がった理由
最初は青色系統に強くこだわっていたのに、最近は色にあまりこだわらなくなってきた変化にもちゃんと説明がつくようです。Barbara Fredricksonの「拡張・形成理論」では、ポジティブな感情を繰り返し経験することで思考や好みの幅が広がっていくとされています(Fredrickson, Broaden-and-Build Theory)。「可愛い」という気持ちを積み重ねていった結果、色という一つの基準にとらわれず、キャラクター全体の魅力を見られるようになった、ということなのかもしれません。
すっかりハマった理由
「気がついたらハマっていた」という感覚は、自己決定理論(SDT)の枠組みで説明できるようです。友達と遊ぶための手段だったゲームが、自分の価値観に基づく選択を経て「プレイすること自体が楽しい」に変わっていく過程は「有機的統合理論」で説明されていて(Organismic Integration Theory)、さらに「有能感」「自律性」「関係性」の3つの心理的欲求が満たされるほど没入感が強まるという「PENSモデル」もあります(Ryan, Rigby & Przybylski, PENS)。キャラクターへの愛着から始まり、操作に慣れて上達し、自分なりの遊び方を見つけていく中で、この3つが自然と満たされていったのかもしれません。
「やっぱり可愛い」が揺らがない理由
爽快感やクリアの達成感など、ポジティブな体験を繰り返しキャラクターと一緒に味わうことで、その好意がどんどん強く定着していく「評価条件づけ」という学習プロセスもあるようです(Evaluative Conditioning)。一目惚れが、色や流行に左右されない安定した愛着に育っていく理由の一つなのかもしれません。
Linux環境で遊ぶ理由
複数アカウントを作ってLinux環境の検証をしているのも、単なる好奇心以上のものなのかもしれません。対象を自分でコントロールし、時間や労力を投資するほど、それに対する愛着や帰属意識が強くなるという「心理的オーナーシップ」の考え方があります(Psychological Ownership)。「最悪Windowsが変なことになってもLinuxで楽しめる」という感覚は、自分の力でこの遊び場を守れている、という自己効力感の表れなのかもしれません。
というわけで、「やっぱり素直に可愛い」という気持ちは、心理学的にもちゃんと裏付けのある、割と自然な感情の動きだったようです。